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尾花沢市銀山新畑

しろがね橋から見る銀山温泉街の大正ロマン

  • 夜の銀山温泉「ガス灯」

  • 冬の銀山温泉街

    銀坑道内

  • 銀山温泉街

    H28写真コンテスト入選作品

  • H29写真コンテスト入選作品

    R01写真コンテスト入選作品

景観の特徴

銀山川の両側に、木造三層・四層の旅館が軒を連ねる銀山温泉街は、一幅の絵のよう。大正浪漫の風情あふれる街並みをそぞろ歩く浴衣姿は、銀山温泉の主人公です。特にガス燈が灯る夕暮れは一段とロマンチックな雰囲気を満喫できます。また、銀山の旅館には、左官職人がつくった「鏝絵」が壁や戸袋にあり、昔の面影を残しています。

景観物語

『大正ロマンに浸りたい そんな気分』

かつて島根県の石見、兵庫県の生野とともに「三大銀山」と呼ばれた延沢銀山。康正2年(1456)の発見とされ最盛期には2万人の人々がくらしていました。
やがて銀の産出量は減り、元禄2年(1689)に発生した大崩落を機に閉山となります。その後、街の湯治場は「銀山」の名で残り、温泉街として広く知られるようになりました。
NHK連続テレビ小説「おしん」の舞台となったことも、全国的にその名を知られるきかっけになりました。
温泉街の奥には現在もその際の名残である銀坑道跡が残っており、その周辺は白銀公園として散策ができるようになっています。

【明治時代】
銀山温泉は奥州街道より約12km入った山間部にあり、当時は幅狭い悪路で、尾花沢からは難路1日もかかっていました。延沢銀山の衰退後、人口は激減しましたが、世間とは遮断された仙境で、人々は湯治客相手の湯端宿屋や小商いを行って生活していました。

【大正時代】
かやぶき屋根の木造平屋や、二階建ての旅館が並ぶ湯治場がありましたが、大正2年銀山川の大洪水でほとんどの温泉宿が流されてしまいました。その後は温泉の湧出量が少なく、川水が進入し温度も低かったので温泉の利用は伸びませんでした。大正10年に銀山川の水を利用した発電所が作られ、その後の復興の足掛 かりとなっていきました。

【昭和初期】
昭和元年に源泉のボーリングで高温多量の湯が湧出し、各旅館は一斉に洋風の3~4層木造構造に建て替えを行いました。橋や沿道の整備も行い、ついに尾花沢より自動車で30分で到着できるようになりました。延沢銀山遺跡は昭和60年に国の史跡に指定されました。 
戦後は温泉街の洋風化も落ち着き、外観は和風に近づいてきました。昭和61年に「銀山温泉家並保存条例」を制定し、風情ある旅館を保存し観光復興に生かすことにしました。

(出典参考)銀山温泉公式サイト
http://www.ginzanonsen.jp/index.html

・平成11年「やまがた地域の絵になる風景」選定

イベント情報

花笠おどり披露(5月~10月毎週土曜日夜)
銀山三大まつり(山菜まつり6月第1土曜日、スイカまつり8月第1土曜日、きのこまつり10月第1土曜日)
銀山かんじき探検ツアー(2月)

グルメ情報

カリーパン、手打ちそば
上の畑焼(陶芸・絵付け体験)、銀山こけし

まわりの観光スポット

銀山温泉周辺
白銀の滝、銀鉱洞など
大正ろまん館 1.5km
ブナ共生の森(23haの森林公園) 3km
芭蕉清風歴史資料館 15km
鶴子温泉 11km
道の駅尾花沢 21km
徳良湖(おすすめビューポイント) 10km

視点場と周辺マップ

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